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仙台高等裁判所 昭和29年(ネ)395号 判決

主文

昭和二十九年(ネ)第三九五号事件につき

本件控訴を棄却する

昭和二十九年(ネ)第四五七号事件につき

本件控訴を棄却する。

控訴人工藤の当審において拡張した請求部分を棄却する。

控訴費用は昭和二十九年(ネ)第三九五号事件控訴人重山及び昭和二十九年(ネ)第四五七号事件控訴人工藤の負担とする。

事実

昭和二十九年(ネ)第三九五号事件につき、控訴人重山代理人は「原判決を取り消す。別紙第一目録記載の土地(以下単に本件山林と略称する)中同第二目録(一)記載の部分に生立する立木は控訴人の所有であることを確認する。被控訴人十条製紙株式会社は控訴人に対し右立木を引き渡せ。訴訟費用は被控訴人等の負担とする。」との判決並びに右引渡を求める部分につき仮執行の宣言を求め、被控訴人十条製紙株式会社代理人及び被控訴人工藤代理人はいずれも控訴棄却の判決を求め、昭和二十九年(ネ)第四五七号事件につき、控訴人工藤代理人は「原判決を取り消す。被控訴人十条製紙株式会社に対し本件山林に生立する立木は控訴人の所有であることを確認する。被控訴人東札幌木材工業株式会社に対し右山林中別紙第二目録(二)記載の部分に生立する立木は控訴人の所有であることを確認する。被控訴両会社はそれぞれ右各山林に立ち入り立木を伐採搬出してはならない。訴訟費用は第一、二審共被控訴会社の負担とする(従前の請求の趣旨を被控訴人十条製紙株式会社に対しては右第二、四項のとおり、同東札幌木材工業株式会社に対しては右第四項のとおりそれぞれ拡張)。」との判決を求め、被控訴両会社代理人はいずれも控訴棄却の判決を求め、なお右各拡張された請求の趣旨につき請求棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張並びに証拠関係は

事実上の主張として第三五九号事件被控訴人及び第四五七号事件控訴人工藤(以下単に控訴人工藤と称する)代理人において第三五九号事件につき「控訴人工藤と同重山との間に本件山林中別紙第二目録(一)記載の部分に生立する立木につき控訴人重山主張のとおりの売買契約が成立したことは従前認めて来たとおりであるが、控訴人重山は右契約の附帯約定である本件第一審訴訟進行に対する協力金一開廷毎金十万円の支払を履行しないので控訴人工藤は控訴人重山に対し昭和三十年十月三十一日附通告書をもつて同書面到達の日より十日以内に右二十回分金二百万円を支払われたく、もしその支払がないときは右契約を解除する旨の意思表示を発し、該意思表示は翌十一月一日控訴人重山に到達した。しかるに控訴人重山は右支払をしないので右契約は右条件附解除の意思表示によつて同年十一月十日の経過と共にその効力を失つたものである。よつて右立木の所有権は控訴人工藤に復帰したから、同立木が控訴人重山の所有であることの確認を求める控訴人重山の請求は失当である。」と述べ、第四五七号事件につき「前記の次第であつて控訴人工藤は本件山林に成立する立木全部の所有権を有するものであるところ、被控訴人十条製紙株式会社は本件山林において、同東札幌木材工業株式会社は本件山林中別紙第二目録(一)記載の部分においていずれも不法にも立木の伐採事業を行つているから、従前の請求を拡張し被控訴人十条製紙に対し右立木全部の所有権確認を求めると共に、右被控訴人両会社に対し右各伐採搬出の禁止を求めるものである。」と述べ、控訴人重山代理人において「控訴人工藤の前記主張は時機に遅れたものであり、これがため訴訟の完結を遅延せしめるものであるから却下されるべきものである。仮にそうでないとしても控訴人工藤主張の附帯約定は本件第一審訴訟の終結を目前に控え控訴人工藤が被控訴人十条製紙株式会社と示談交渉のうえ本件山林の権利関係を確定することを前提としそれまで控訴人重山において右訴訟進行に協力する趣旨でなされたものであつて、控訴人工藤主張の金十万円も控訴人重山が、好意的にそれに近い金員を都合してもよい意味をあらわしたものに過ぎなく、確定的な額として約束したものでない。ところが控訴人重山としては右第一審訴訟中において右約定とは別に既に相当額の金員を控訴人工藤に手交し右訴訟に協力したにもかかわらず、控訴人工藤は右示談交渉に努力せず、ために同訴訟は敗訴に帰した。されば拘束力のない右金十万円の約定を楯に控訴人工藤よりその主張のごとき条件附解除の意思表示を受けるいわれはなく、又仮に右金十万円の約定があつたとしても右示談が不成立となつた後においても控訴人工藤は控訴人重山より右のように相当額の金員援助を異議なく受けており、当審においても右解除の意思表示をするに至るまでこの点になんら触れるところはなかつたのであるから右金十万円支払の約定は変更されたものと見るべきであり、従つて控訴人工藤が今更右約定に藉口して右のような解除の処置に出るのは権利の濫用というべきである。いずれにしても控訴人工藤の前記解除の主張は失当である。」と述べ、被控訴人両会社代理人において「控訴人工藤主張の前記事実は知らない」と述べ、

(立証省略)

たほか、原判決事実摘示と同じであるからこれを引用する。

理由

別紙第一目録記載の土地(本件山林)及びその地上に生立する立木がもと星光太外六十四名の共有であつたこと、及び右山林の土地が昭和八年七月二十四日右共有者等から河原田稼吉に、同十二年八月十日同人から王子製紙株式会社に順次売り渡され、いずれもその翌日所有権移転登記がなされ、更に同二十四年八月一日右会社より被控訴人十条製紙株式会社に対し現物出資として譲渡され、同二十六年九月十九日その所有権移転登記が経由されたことは当事者間に争がない。

被控訴人十条製紙株式会社は右共有者等と河原田間の売買においては本件山林の土地と共に同地上立木全部をもその対象としたもので、その後の右各譲渡においても同様であるから本件山林の立木は現に同被控訴会社の所有である旨主張するのに対し、控訴人工藤及び重山はこれを争い右共有者等と河原田間の売買は本件山林の土地のみを対象としたものでその後の譲受人である被控訴人十条製紙株式会社が本件山林の立木の所有権を取得するいわれがない旨主張するので先ずこの点を判断する。成立に争のない甲第九号証の一、二、乙第一号証、丙第二号証中河原田稼吉、星敬三の各尋問調書の記載、丙第十一号証、真正に成立したものと推定すべき甲第十九号証、原審証人森謙太郎の証言により成立を認める同二十号証、官署作成部分の成立に争なく、その余の部分も作成者本人の捺印があるのでその成立を推定すべき同第二十四号証、原審証人茂田茂の証言(第二回)により成立を認める同第三十四号証に原審及び当審証人茂田茂(ただし原審は第一回)星与惣左エ門、菅家巳喜太郎、大山豊太郎、当審証人五十嵐富八、橘岩造の各証言を綜合すると、昭和八年頃本件山林の共有者の一員であつた星与惣左エ門(当時光太と称した)及び星啓三は右共有者等の窮乏を救うため本件山林土地立木の一括処分方を共有者等に諮つたところ、立木の処分については異存あるものはなかつたが、土地については耕地の少ない部落の将来を慮り反対するものもあつたけれど、与惣左エ門等が立木だけでは処分がむづかしいと説いて結局土地も共に処分することになつたこと、そこで与惣左エ門は共有者等の一部の者からその持分を譲り受け又その他の者からは同人と啓三がその各持分の売却方につき一切の権限を委ねられ、啓三の縁戚にあたる河原田稼吉にその買受方を交渉した結果共有者等と河原田間に本件山林(立木をも含むやについてはしばらく措く)につき前示売買契約が成立したこと、右売買締結にあたり先ず啓三において土地立木一体として本件山林を売渡すつもりで河原田に話を進め河原田もそのつもりで同山林を見分のうえ契約締結の細部について同人の秘書橋本某に一任したので右契約の直接交渉は主として与惣左エ門と橋本間において行われたが、与惣左エ門は当時後記のごとく本件山林の立木が地盤を離れて明治四十年頃右共有者等から斎藤兼松外二名に対し伐採期間を二十年として売り渡され、翌年同人等から今市木材株式会社に売り渡されていることを承知しており、右伐採期間の経過により右立木の権利が共有者等に復帰したものと考えていたものの自信がなかつたので、橋本には右今市木材株式会社との関係を告げたうえ右立木の権利が共有者等に復帰しない場合に備え立木については売る売らないの明言を避けたまま単に本件山林の各持分を取引の目的として前記売買契約を締結したこと及びその締結後河原田は啓三を本件山林の監視人としてその立木につき河原田の所有である旨の標札を立てしめ、その後前記のごとく本件山林の土地を王子製紙株式会社に売り渡す際も土地立木を一体として処分したことが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

ところで一般に立木は立木に関する法律の適用を受けない以上法律上その地盤たる土地の構成部分としてこれと一体をなすもので、別個独立の物として取り扱われるべきものではないから土地の処分の効力は原則としてその立木に及ぶものといわなければならない。尤も右のような立木といえども土地と分離し独立して譲渡の目的となし得ることは我が判例法上是認されているところであるけれども、それがためには右法律上の原則を覆すだけの特別の意思表示がなければならない。又経済的価値の観点からしても山林売買の眼目とするところは土地よりもむしろ立木であるのが通例であるから、若し土地のみを処分の対象とするのであればその点においても特別の意思表示がなければならない。これを要するに、山林の売買においては立木に関する法律の適用を受けない立木は特に立木を除外する意思表示のない限り土地と一体をなして売買されたものと解するのが相当である。これを本件についてみるに、前示認定の事実によると本件山林の右共有者等は土地と共にその立木をも処分する意思でその売却方を前記与惣左エ門及び啓三の両名に委ねたのであり、啓三も同様の趣旨で河原田と交渉し、ただ与惣左エ門だけは前示のような事情から敢えて立木の点に触れなかつたが立木を除外するつもりではなかつたのであり、買受人である河原田側も土地立木を一括して買い受ける意思であつたことを認めるに十分であり、従つて明示的にも黙示的にも立木を除外する意思表示のあつたことは認められない。それなら前記共有者等と河原田間売買においては本件山林の土地と共に同地上に生立する立木全部がその目的となつたといわなければならない。

尤も右共有者等と河原田間の売買による前示所有権移転登記をする際その前提として同日共有者等名義でなされた本件山林に対する共有権保存登記の申請書と認められる乙第十八号証には同山林につき「毛上ナシ」と記載されているが、前掲甲第十九、第二十号証、成立に争のない同第四十五号証の一ないし十と原審証人森謙太郎、前掲原審及び当審証人星与惣左エ門(後記措信しない部分を除く)の各証言を綜合すると前示のごとく星与惣左エ門は河原田との前記本件山林売買につき立木の点に触れることを欲しなかつたため直接登記のことに当つた星啓三にも立木に触れないよう依頼したので啓三がその点を代書人に諮つたところ、毛上の数計が困難な自然林の例にならうのがよかろうということで右保存登記申請書には「毛上ナシ」と記載されたことが認められるから、乙第十八号証中の右記載は前記認定の妨げとなるものではない。原審証人星与惣左エ門の証言中右「毛上ナシ」とは立木を除外する趣旨であるとの部分乙第一号証の星与惣左エ門の陳述記載及び丙第二号証中の証人吉岡定吉の尋問調書の記載のうち右と同趣旨の各部分は前示認定に照してにわかに措信し難く、乙第三号証の五十嵐春雄の陳述記載中以上の認定に反する部分は原審証人としての同人の証言に徴して信用できない。又前掲甲第十九号証、丙第二号証中の証人星啓三の尋問調書の記載、原審及び当審証人徳成虎雄の証言(以下の認定に副わない部分は措信しない)によると、昭和十二、三年頃河原田が本件山林の立木を奔走のうえ今市木材株式会社から買い受けたことが認められるけれども、他方右証拠に前掲甲第九号証の二、原本の存在及び成立を認めるべき乙第二十五号証、前掲当審証人星与惣左エ門の証言を綜合すれば、その頃今市木材株式会社から王子製紙株式会社に対し右立木の所有権を主張し異議を唱えてきたので河原田が前主の責任上両者の仲に入り今市木材の代理人と直接交渉した結果、王子製紙側が示談金一万円を出金することで円満妥結を見たが、形式の上では河原田が右立木を代金一万円で買い受けたこととして同人より今市木材側に金一万円を手交したことが認められる。右認定に反する乙第十九号証の一、二・第二十三号証は採用しない。そうすると河原田に右買受の事実があつたとしても、それは前示のような事情から当時存在した右立木に対する今市木材株式会社の所有に関する論議をこの際一掃しようとして取られた解決策ともみられるのであつて、必しも河原田が前記共有者等より右立木をも買い受けた事実認定には抵触するものではない。

他に以上認定を覆すに足る証拠はない。

控訴人工藤は仮に河原田が本件立木をも買い受けたとしても昭和八年七月当時右立木は今市木材株式会社の所有であつて河原田はこれを前記共有者等から買い受けるに由ないものである旨主張するのに対し被控訴人十条製紙株式会社はこれを争うので案ずるに、成立に争のない甲第三十三号証、丙第三号証の一によると本件山林の立木は地盤たる土地を離れて明治四十年十一月二日前記共有者等から斎藤兼松外二名に伐採期間を満二十年と定めて売り渡され、更に同四十年旧暦一月三日同人等からそのまま今市木材株式会社に売り渡されたことが認められる。この点につき被控訴人十条製紙株式会社は、仮にそのような事実があつたとしても右満二十年の伐採期間の経過と共に本件山林の残存立木の所有権は右当事者間の約定により又その約定がないとしても同地方の慣習により当然売主である右共有者等に復帰した旨主張するけれども、右共有者等と斎藤兼松外二名あるいわ今市木材株式会社との間にそのような約定のあつたことを認めるに足る証拠はなにもなく、又右のような慣習の点についても、原審証人星儀右エ門、星和平、前掲原審及び当審証人菅家巳喜太郎、大山豊太郎、当審証人五十嵐富八はこれに副う趣旨の証言をしているけれども山林の大小、伐採期間の長短、残存立木の多寡等を考慮せず、あらゆる場合に一律に右のような慣習(事実たる慣習)が存在するかどうかは極めて疑問であり、仮に本件のような場合にそのような慣習があつたとしても、前記斎藤兼松外二名については勿論今市木材株式会社についても右慣習による意思ないし事情があつたことを認めるべき証拠はなく、却つて前記のように右今市木材がその後王子製紙株式会社に対し本件山林の立木の所有権を主張した事実に徴すれば、同会社には右慣習による意思がなかつたことが窺えるからいずれにしても右被控訴会社の主張は失当である。それなら本件山林の残存立木の所有権は前示満二十年の伐採期間の経過によつて当然には右共有者等に復帰しなかつたものというべく、そうだとするなら共有者等が再びその所有者となるためには今市木材株式会社との間に改めてその旨の意思表示がなければならないわけであるが、そのような意思表示のあつたことを認めるに足る証拠はない。尤も前掲甲第三十四号証当審証人星力の証言により成立を認める同第四十号証の一ないし三、第四十一、第四十二号証と原審及び当審証人橘岩造の証言を綜合すると、右伐採期間の切れる昭和二年前後今市木材株式会社から右期間の延期方の交渉があつたが、共有者側で同会社の事業能力を疑い反対したため結局不調に終つたこと及び共有者等はその結果本件山林の残存立木の所有権は自分等に返つたものと考えその後前記のごとくこれを河原田に売り渡すに至つたことが認められるけれど、この事実だけから右残存立木につき新たな意思表示があつたとみることはできない。

これを要するに前記満二十年の伐採期間の経過によつて本件山林の残存立木の所有権は右共有者等には返らなかつたというべきであるから共有者等と河原田間の前示売買契約当時右立木の所有権は依然今市木材株式会社にあつたものといわなければならない。

以上によれば右共有者等は本件山林の立木を今市木材株式会社と河原田に二重に譲渡したものというべきであるところ、この点につき被控訴人十条製紙株式会社は今市木材株式会社は右立木の所有権取得につきなんら明認方法を施した事実がないのに対し、河原田はその取得と同時にこれが明認方法を講じているのであるから、仮に控訴人工藤が今市木材株式会社よりの転得者から同立木を取得したとしても同会社の右所有権取得をもつて河原田よりの転得者である被控訴人十条製紙株式会社に対抗し得ないものである旨主張するので案ずるに、もともと明認方法は立木に関する法律の適用を受けない立木の物権変動の公示方法として是認されているものであるから、それは登記に代るものとして第三者が容易に所有者を認識することができる手段で、しかも第三者が利害関係を取得する当時にもそれだけの効果をもつて存在するものでなければならない。故にたとえ権利の変動の際一旦明認方法が行われたとしても問題の生じた当時消失その他の事由で右にいう公示として働きをなさなくなつているとすれば明認方法ありとして第三者に対抗することができないものといわなければならない。これを本件についてみるに、原審及び当審証人五十嵐春記、白土米造、徳成虎雄の各証言(ただし徳成については後記措信しない部分を除く)によると、今市木材株式会社では本件山林の立木買受当初右山林中に事務所及び工場を建設し、多数の人夫を入れて伐採事業に取り掛かかる一方、山中の相当個所に同会社を表示した刻印又は焼印を直接立木に押しあるいわ板に押したものを立木に釘づけにして右買受立木の権利関係を示したこと、その後右伐採事業は大正十四年頃までどうにか続けられたがその頃工場が焼失すると共に自然中止されたままとなり、又右のような同会社の標示も既にその頃は見受けられなくなつていたこと、今市木材株式会社では昭和に入つて以来昭和十年前後まで本件山林の立木に対する明認方法については無関心であり、その頃に至つて現地の事情に明るい者から現場のままで効果のないことの注意を受けはじめてその気になつたことが認められる。しかして右認定に副わないところの当審証人小坂八郎、毛塚浅治の各証言中昭和十二、三年頃本件山林の立木二、三箇所に今市木材株式会社の刻印のあるのを見た旨の部分原審及び当審証人工藤昌利の証言並びに原審における控訴人工藤本人尋問の結果中昭和十六年ないし同十八年頃右山林の立木数箇所に同会社の刻印のあるのを見た旨の部分は原審証人高杉国雄の証言により成立を認める甲第二十二号証の一・二、原審証人佐藤懿の証言により成立を認める同第二十三号証の一、二中のいずれも本件山林中に今市木材の標示を見たことがない旨の各記載原審証人星与惣左エ門、高杉国雄、佐藤懿、吉岡貞松、新沼弥五郎、星和平、前掲原審及び当審証人茂田茂、菅家巳喜太郎、大山豊太郎の右同様の各証言に照しにわかに措信し難いし、仮に今市木材株式会社の刻印が数箇所に残存していたとしても右甲号証の各記載に各証言からみてなに人にも今市木材株式会社の所有であることを了知させるに足るものではなかつたことが窺えるし、他に前記認定を左右すべき証拠はない。それなら河原田が本件山林の立木を買い受ける昭和八年七月当時右立木につき今市木材株式会社のため権利取得を公示するに足りる明認方法は存在していなかつたものといわざるを得ない。

一方河原田、王子製紙株式会社、被控訴人十条製紙株式会社が本件山林の土地につきそれぞれ所有権移転登記を経由していることは前示のとおりであり、又立木に関する法律の適用を受けない立木の地盤たる土地に対する関係が前叙のごとくであるとするなら、地盤たる本件山林の土地につき登記がなされた以上その立木についても当然公示方法が尽されたものと解するのが相当である。しかしながら前示のごとく前記共有者等より河原田に対する所有権移転登記の前提をなす保存登記の申請書中に「毛上ナシ」の記載があるため仮に該申請書との関連において右移転登記が本件山林の公示方法として疑があるとしても、前掲甲第九、第十九号証、第二十二号証の一・二、丙第二号証中の証人星啓三の尋問調書の記載と原審証人高杉国雄、星儀右エ門、原審及び当審証人大山豊太郎の各証言を綜合すれば河原田は本件山林(立木)をも含む買受後間もなく同山林の要所に同山林が同人の所有であることを明示す標杭を立てた外、山林中の四、五箇所において立木を削つて同様の標示をし、これらの標示は右山林を王子製紙株式会社が買い受ける当時も現存していたことが認められる(なお成立に争ない丙第七号証の一の王子製紙株式会社に対する本件山林の所有権移転登記申請書中には雑立木六百棚として極めて過少評価された毛上が記載されているけれども一応毛上含んだ申請とみられなくはないからこれに基く前記所有権移転登記は本件山林の立木の公示方法となり得るものと解する)から、結局河原田、王子製紙株式会社、被控訴人十条製紙株式会社の本件山林の立木の各所有権取得はいずれもその公示方法においてなんら欠けるものがなかつたものといわなければならない。

しからば河原田の取得した本件山林の立木の所有権は今市木材株式会社が先に取得した同立木の所有権に優先するものというべきであり、しかも前者の所有権は前示のごとく対抗要件を備えた状態で王子製紙株式会社に、同会社から被控訴人、十条製紙株式会社にと譲渡されたのであるから今市木材株式会社は河原田が右対抗要件を備えた時において本件山林立木の所有権を失つたものとみるべきであり、一方右立木の所有権は右被控訴会社にあるものといわなければならない。

果してそうだとするなら本件山林の立木につき今市木材株式会社に所有権のあることを前提とし同立木が昭和八年十二月十日佐藤清に、それより順次上岡源四郎、筑比地一郎、大山トキにと譲渡されたうえ同十七年二月二十五日控訴人工藤が右大山から贈与によりその所有権を取得した旨の同控訴人の主張並びに同控訴人より同二十六年八月二十三日更に本件山林中別紙第二目録(一)記載の部分に生立する立木の所有権を取得した旨の控訴人重山の主張は前示のごとく既に本件山林の立木が右佐藤清に譲渡される以前において今市木材株式会社の所有ではなくなつていたとすれば、それ以後の所有権移転関係につき判断を俟つまでもなくいずれも失当といわなければならない。以上説示のとおりであるとするなら、控訴人工藤が立木伐採のため本件山林に立ち入つていること及びその立木の一部を第三者に売り渡しつつあることは同控訴人の認めるところであるから、控訴人工藤に対し本件山林の土地に生立する立木が被控訴人十条製紙株式会社の所有であることを前提としてその所有権の確認を求めると共に同控訴人が右土地に立ち入り立木を伐採搬出することの禁止を求める同被控訴会社の請求は正当として認容すべきであるが、被控訴人十条製紙株式会社並びに控訴人工藤に対し本件山林中前記部分に生立する立木が控訴人重山の所有であることを前提としてその所有権の確認を求める控訴人重山の請求は失当として棄却を免れない。又本件山林に生立する立木が控訴人工藤の所有であることを前提として被控訴人十条製紙株式会社に対して従前の請求を拡張してその所有権の確認を、同東札幌木材工業株式会社に対して右山林中別紙第二目録(二)記載の部分に生立する立木の所有権の確認を求めると共に右被控訴会社に対して従前の請求を拡張して右各山林に立ち入り立木を伐採搬出することの禁止を求める控訴人工藤の請求も失当として棄却を免れない。右請求の拡張部分を除き以上と同趣旨の原判決は相当で本件第三九五号及び第四五七号事件の控訴はいずれもその理由がない。

よつて民事訴訟法第三百八十四条、第九十五条、第八十九条、第九十三条を適用して主文のとおり判決する。(昭和三二年一月二三日仙台高等裁判所第二民事部)

(別紙目録は省略する。)

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